島原の乱


島原の乱

1637年のキリシタン一揆。
天草四郎時貞(当時16才)を総大将にし、原城(南有馬町)に総勢3万7千人で90日間たてこもった。

1637年12月 
総大将天草四郎時貞の下、
キリシタン信仰を団結のよりどころに
島原天草の農民三万七千人の一揆軍が原城にたてこもり
幕府軍十二万五千人と戦いを繰り広げた。

翌年の二月二十八日、
一揆軍は総攻撃を受け、老若男女問わず皆殺しとなった。

日本史上もっとも悲惨な事件とされる。

元和元年(1618)島原城の築城が始まり、7年もの月日を費やして完成した。
その際、領民に重税を課したのも一因といわれる。